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中之保村(なかのほむら)は、かつて岐阜県武儀郡にあった村である。 合併で武儀村(1971年に町制施行し、武儀町)となり、現在は関市の一部である。 津保川およびその支流(中之保川)沿いの谷間の村であった。 == 歴史 == * 江戸時代初期、この地域は上有知藩領であったが、慶長16年(1611年)に天領となり、元和元年(1615年)より尾張藩領となる。 * 明治時代初期〔武儀町史(1992年発行)によると、現存する資料で中之保村の戸長が判明しているのは1880年以降である。このことから遅くても1879年以前には中之保村が成立していたと推測される。〕、比根村、拭井村、多々羅村、間吹村、若栗村、梁瀬村が合併し、中之保村となる。 * 1884年(明治17年) - 中之保村と下之保村とで戸長を設置し、戸長役場は下之保村に開設する。 * 1889年(明治22年) - 戸長役場を廃止。中之保村と下之保村は単独に村として成立。 * 1955年(昭和30年)4月1日 - 中之保村、富之保村、下之保村が合併し武儀村となる 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中之保村」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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