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中井光雄 : ウィキペディア日本語版
中井光雄[なかい みつお]
中井 光雄(なかい みつお。1933年11月11日- )は日本競輪選手会滋賀支部に所属していた元競輪選手1950年7月20日に選手登録された期前選手。登録番号は4992である。
== 経歴 ==
16歳でデビューした中井は、松本勝明と一緒に練習する機会を得るなどして数年後にはトップクラスの座を射止め、1953年4月、名古屋競輪場で開催された第4回全国都道府県選抜競輪の3000m競走で優勝し初のタイトルを獲得。さらに同年11月、大阪中央競輪場で開催された第8回全国争覇競輪(日本選手権競輪)を19歳にして制した。そして翌1954年より、地元バンクである大津びわこ競輪場で開催される高松宮同妃賜杯(高松宮記念杯競輪)3連覇の偉業を達成することになる。
この他に中井は、1955年の第9回都道府県選抜競輪(大宮競輪場)4000m競走を制した他、1956年の第11回都道府県選抜競輪(神戸競輪場)4000m競走、さらには1959年の第4回オールスター競輪(大阪中央)を制した。ちなみに59年のオールスター決勝では松本とのワンツーを決めている。
中井の特別競輪(現在のGIに相当する大会)優勝記録は以上の通りだが、その後もトップクラスを堅持し、38歳となる1972年の日本選手権(千葉競輪場)では決勝戦にも駒を進めている(9着)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中井光雄」の詳細全文を読む



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