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中井 養三郎(なかい ようざぶろう、1864年 - 1934年)は、現在の鳥取県倉吉市出身で、島根県周吉郡西郷町(現在の隠岐の島町)を拠点とした漁業者。 == 生涯 == 1864年、伯耆国久米郡小鴨村大字中河原(現・鳥取県倉吉市)にて、醸造業者の家に生まれる。 竹島で、潜水器を使ってナマコやアワビをとる漁業に携わる。1903年(明治36年)、竹島に小屋を建てる。1904年(明治37年)に「りゃんこ島領土編入並に貸下願」を政府に提出し、日本海の孤島・竹島の領土編入と貸下げを内務省、外務省、農商務省の三省に願い出た。この一件の対処と記録が現在の日本政府による竹島領有権主張の重要な根拠とされている。 1934年、死去する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中井養三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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