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中井祐樹 : ウィキペディア日本語版
中井祐樹[なかい ゆうき]

中井 祐樹(なかい ゆうき、1970年8月18日 - )は、日本男性柔術家、元総合格闘家。現日本修斗協会会長。元日本ブラジリアン柔術連盟会長。北海道浜益郡浜益村(現・石狩市)出身。パラエストラ東京主宰。北海道札幌北高等学校卒業、北海道大学中退。元修斗ウェルター級王者。
== 来歴 ==
高校時代にレスリングを学び、北海道大学柔道部で高専柔道の流れを汲む七帝柔道を学ぶ。本人によると最初は大学正門前にあった極真空手高木薫道場に入るつもりだったが、北大柔道部を見学に行って、そのあまりの寝技の多さとテクニックに惹きこまれ入部したという。
毎年7月に開催される七帝戦で、4年時に無敵の京大の11連覇を阻止し、団体優勝を果たした。中井は、すぐに退学届けを提出し、プロ修斗(当時の名称はプロシューティング)に参戦するために上京し、スーパータイガージム横浜へ入門した。
1994年11月7日、プロ修斗ウェルター級チャンピオンシップで草柳和宏と対戦し、判定勝ち。修斗ウェルター級王者となった。
1995年4月20日、修斗ウェルター級王者としてVALE TUDO JAPAN OPEN 1995に参戦。1回戦でジェラルド・ゴルドーと対戦し、4ラウンドにヒールホールドで一本勝ち。この試合中にゴルドーのサミングを受け、右目を失明した〔「まだマイナーだった総合格闘技に危ないイメージを広げたくなかった」との理由から、失明したことをすぐには公表しなかった。〕。続く2回戦はクレイグ・ピットマンを腕ひしぎ十字固めで下した。決勝戦はヒクソン・グレイシーと対戦し、1ラウンドにスリーパーホールドで一本負けを喫した。大会後、右目失明のため総合格闘技を引退し、決勝戦で対戦したヒクソンの柔術テクニックに魅せられブラジリアン柔術に専念するようになった。
1997年パラエストラ東京(当初の表記はパレストラ東京、2005年11月改称)を設立し、以来、日本人ブラジリアン柔術家の育成に携わっている。それから十年と経たずにパラエストラ支部は全国に広げている。パラエストラ東京からは青木真也北岡悟なども輩出されていて、青木にブラジリアン柔術黒帯を授与したのも中井である。
2002年5月2日、プロ柔術「GI um」のメインイベントでレオナルド・ヴィエイラと対戦し、試合終了残り2秒送り襟絞めで一本負け〔[プロ柔術GI] 5.2 有明 (レポ&写真):日本プロ柔術に“ジーコ”現る!? BoutReview 2002年5月21日〕。
2003年2月11日、プロ柔術「GI 02」のアレッシャンドリ・ソッカと対戦し、アドバンテージ0-3で敗北した〔[柔術] 2.11 有明:レオジーニョ、風邪を引いても早川に圧勝 BoutReview 2003年2月12日〕。
2010年6月1日、日本修斗協会会長に就任した〔日本修斗協会 新役員決定 日本修斗協会広報誌 BLOG版 2010年6月1日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中井祐樹」の詳細全文を読む



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