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中井雅之(なかい まさゆき、1958年4月8日 - )は、神戸市長田区出身のフリーアナウンサー・タレント。米朝事務所に所属する唯一のアナウンサーでもある〔を参照。〕。 ==来歴・人物== 兵庫県立御影高等学校、関西大学社会学部卒業。高校時代は落語家の露の団六と同じクラス、大学生時代は、1歳年下の采野吉洋(現在は南日本放送アナウンサー)とともに、「海賊放送研究会」で活動していた。また、『おはよう朝日です』(ABCテレビ)のアルバイトスタッフとして、「突撃!バーゲンダー」(商店街でのロケコーナー)の照明を担当。さらに、サン放送アカデミーでアナウンス技術の研鑽を積んでいた〔〕。 大学卒業後の1983年に、アナウンサーとして大阪放送(OBC)に入社。入社後は、自身と同じくサン放送アカデミーへ通っていた同期入社の原田年晴とともに、看板アナウンサーとして聴取者の人気を得ていた。スポーツアナウンサーとしても活動していたが、1992年に退社・独立。同局のプロ野球中継(『近鉄バファローズナイター』『ラジオ大阪ドラマティックナイター』)で実況を続けるかたわら、フリーアナウンサーとして、『痛快!エブリデイ』の木曜日ややしきたかじんの冠番組である『たかじん胸いっぱい』(いずれも関西テレビ)で長年レギュラーを務めてきた。ちなみに、『痛快!エブリデイ』には、「怒りのスペシャリスト」という肩書で出演。「桂べかこ」を名乗っていた時期に前述の「突撃!バーゲンダー」でリポーターを務めていた桂南光(司会)と共に、名物企画の「モーレツ!怒りの相談室」を進行していた。 独立後は長らく、パブリック・インフォメーション・スタイル(略称「P.I.S」、たかじんが代表取締役であった事務所)に所属。しかし、同事務所がたかじんの個人事務所に変わったことを機に、中井も個人事務所「ツーコンツール」を主宰していた。2010年1月からは、米朝事務所に所属。同事務所唯一の所属アナウンサーとして、落語会の司会にも携わっている。 2000年代の後半には、OBCにおけるプロ野球中継からの撤退(2007年)、『痛快!エブリデイ』の終了(2008年6月)、『たかじん胸いっぱい』のリニューアル(2009年3月)などで相次いでレギュラー番組を失ったことから、イベントなどを中心に活動。社会福祉法人和修会錦保育園(大阪府守口市)の副園長も務めていた〔(テレビ大阪の主催で2009年7月4日・5日にATCホールで開催された育児関連イベント)での講演会「副園長はアナウンサー」の講師紹介を参照。〕ことなどから、スポーツアナウンサーとしての活動を2年半ほど休止していた。 2010年3月からは、CS放送のプロ野球中継の実況担当として、スポーツアナウンサーとしての活動を再開。テレビの野球中継での実況を、レギュラーで担当するのはこれが初めてであった。2011年6月からは、関西テレビのテレビショッピング番組『買物生活ほんでなんぼ?』のMCとして、地上波テレビ局制作番組に再びレギュラーで出演。2013年4月から2015年3月までは、古巣のOBCで平日の午前中に放送された生ワイド番組『中井雅之のハッピーで行こう!』のパーソナリティを務めていた。2015年10月からは、フリーアナウンサーとしての活動を続けるかたわら、同局が開設する「ラジオ大阪 声優&アナウンススクール」でアナウンサー&パーソナリティコースの講師を務める〔「ラジオ大阪 声優&アナウンススクール」講師紹介 〕。 結婚と離婚を2回経験しており、現在は独身であることを、出演番組や講演などで公表している。2番目の妻に当たるフリーアナウンサーの薗田涼子は、かつて中井と共にP.I.Sへ所属。離婚後も、『中井雅之のハッピーで行こう!』にゲストで出演することがあった〔『中井雅之のハッピーで行こう!』公式ブログ「ハッピー日記」2014年2月3日付記事「月曜ゲスト 薗田涼子さん!」 (アーカイブ)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中井雅之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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