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中利夫 : ウィキペディア日本語版
中利夫[なか としお]

中 利夫(なか としお、1936年4月28日 - )は、群馬県前橋市出身の元プロ野球選手外野手)・監督野球解説者
登録名を頻繁に変えており、入団時は「利夫」、その後に「三夫」、に「暁生」、監督時代は「利夫」。コーチ時代は「登志雄」もしくは「利夫」。野球解説者としては本名の「利夫」を使っている。
== 来歴・人物 ==
前橋高校〔同校野球部の二年先輩に後に俳優となる天田俊明が投手として所属しており、中日の監督時代には東海テレビのドラゴンズ応援番組に司会者として出演している。〕では投手を務めた。高校は進学校であり東京大学を志したこともあったほどの秀才であったという。
中日ドラゴンズへ入団。高木守道とともに1・2番を構成した。足が速く、に盗塁王を獲得。翌にはシーズン11三塁打を記録。打席では、球をよく引き付け捕手が捕球する直前にバットを出す打法だったことに加え、低めの投球には体を伸ばし、高めの投球には体を縮めてストライクゾーンを移動させボールカウントを稼ぐちょうちん打法(伸び縮みするところから)を得意としていた。これを防ぐため、捕手は打席に近い位置で捕球することを試みた結果、ミットとバットが接触し、打撃妨害となることが多かった。通算で21の打撃妨害は日本プロ野球記録。
セーフティーバントを得意とし、には王貞治近藤和彦との打率争いでセーフティーバントを連続して成功させたことが功を奏し、首位打者を獲得。プロ初安打もセーフティーバントであった。なお翌に眼疾により長期欠場を余儀なくされるが、無事にカムバックした。
守備範囲も広く、とにシーズン350刺殺のセ・リーグ記録をマーク。長嶋茂雄は「あらかじめ打球の落下点にいた野手の最たるもの。右中間や左中間に打ち返して『よし、長打だ!』と走り出すと、中が何事もなく捕球してスタスタ帰ってくる。それを見て何度もガクッときた」とその守備を称えている。
上記刺殺記録をマークした時のグラブは、1961年に同僚の投手・西尾慈高が持っていたアメリカ製グラブを手にはめたところ、驚くほど感触が良かったため、西尾を拝み倒してそのグラブを譲り受けたものである(西尾には、かわりに新品のグラブをプレゼントした)。以来、ボロボロになっても補修しながら、引退まで使い続けた。なぜ新品に替えないのか尋ねられると「右手の手のひらがケガしたら、どうやって取り替えるんですか?」と発言した。
また、チームの後輩・谷沢健一の記憶にある中のグラブとは「雑巾のようにペラペラで、簡単に丸めてお尻のポケットに突っ込んであった」そうで、さらに「(中が自ら)グラブの先に網を継ぎ足して、使用していた」ものだった。
なお現役引退後のプロ野球マスターズリーグに出場した際、新品のグラブでフライを落球したため、ナゴヤドームに展示されているその西尾から譲り受けたグラブを取り寄せ、使った。
の引退後はコーチとなり、からに監督を務める。チーム待望の生え抜き監督であると同時に片腕として西鉄出身の鉄腕・稲尾和久を投手コーチに招聘し話題になったが就任3年目に最下位に転落した。からCBC野球解説者、中日スポーツ野球評論家。からまで監督経験者では珍しく中日守備走塁コーチ。とは広島東洋カープで二軍打撃コーチ、とは二軍監督。からテレビ愛知の野球解説者。
現在は中日新聞野球評論家を務める他、2012年からは東海ラジオの解説者も務めている。プロ野球マスターズリーグの名古屋80D'sersに監督・選手として参加(現在はコーチ)。2003年から2006年まで中日OB会の会長も務めた。
2010年の日本シリーズ第1戦(ナゴヤドーム)で始球式を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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