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中原 昌也(なかはら まさや、1970年6月4日 - )は、日本の音楽家、映画評論家、小説家、随筆家、画家、イラストレーター。 文化学院高等課程中退。1988年頃より音楽活動を始め、1990年にノイズユニット暴力温泉芸者を立ち上げ、海外公演などを通じて日本国外でも活動している。音楽活動と平行して映画評論も手がけ、1998年には小説家としてデビュー、2001年に『あらゆる場所に花束が…』で三島由紀夫賞、2006年に『名もなき孤児たちの墓』で野間文芸新人賞を受賞。2009年以降はHair Stylistics名義での音楽活動や、画家・イラストレーターとしての美術活動が中心になっている。 父は絵本作家・イラストレーターの中原収一(なかはら しゅういち、1936年 - )。 == 経歴 == 1970年、東京都港区青山に生まれる。小学生時代から海外の前衛文学を愛好。また映画雑誌『スターログ』を購読していた。中学生時代には、佐藤重臣主催のカルト映画上映会「黙壷子フィルムアーカイブ」に参加、大きな影響を受ける。映画に興味を持つ一方でノイズミュージックにも興味を示し、1988年頃より音楽活動を開始。1990年にアメリカのインディペンデントレーベルRRRecordsから「暴力温泉芸者」名義でマゾンナとのスプリットLPを出し、以降ソニック・ユース、ベック、ジョン・スペンサーのフロントアクトをこなす。小山田圭吾との交友(青山ブックセンターで中原が小山田にボストン・ストラングラーズというバンドを組もうと誘った)から音楽誌やカルチャー雑誌を中心に人気を得る。90年代中盤ごろ、メディアからは「デス渋谷系」と呼ばれる事もあった。1995年のアメリカツアーを始めとして海外での公演も多い。トラットリアやダブレストラン、東芝EMIなどから多くの音楽作品を発表しており、一時期はリミキサーとしても活躍。コーネリアス、布袋寅泰、スチャダラパー、ECD、宇宙犬などの作品を手がけた。またトリビュート盤への楽曲提供も多く、トッド・ラングレン、越路吹雪、スパイダース、シオン、マーク・ボランなどの作品に名を連ねる。 1997年に小室哲哉の番組に出演した際、SM嬢のマネキンと相撲文字で「暴力温泉芸者」と書かれた書割を見て恥ずかしくなり、「Hair Stylistics」名義に変更、同名義では2004年に1stアルバム『Custom Cock Confused Death』を発表している。2008年4月からは12ヶ月連続でアルバム『Monthly Hair Stylistics』をリリース、2009年3月発売のVol.12で完結した。 音楽活動と平行し、1995年から町山智浩が創刊した『映画秘宝』シリーズにメイン・ライターとして参加。1996年には初の著書、『ソドムの映画市』も刊行。映画評論家として活動を始める。初期には海外のB級ホラー映画などを主に紹介していたが、近年は「そういう映画ばかり観ていると決め付けられたくない」として、『映画秘宝』を離れてメインストリームの映画やアート系の映画を主に論評するようになっている(ただし『映画秘宝』のイベントには顔を出している)。 1998年、『文藝』に連載した『絶望の散歩道』を短編集『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』にまとめ、小説家としてデビュー。2001年、初の長編『あらゆる場所に花束が……』で第14回三島由紀夫賞を受賞(青山真治『ユリイカ EUREKA』との同時受賞)。審査員のうち宮本輝、高樹のぶ子からは猛反発を受けたが島田雅彦、福田和也から支持を受け、また筒井康隆からも消極的支持を受け受賞が決まった。福田からは「本作品は、アヴァン・ポップ的なものとして読まれているようだが、本質的にはむしろ、シクススやシモン、ソレルスといった50-70年代フランスのヌーボー・ロマンの結構をもっている」と評される。 2005年、第58回カンヌ国際映画祭に出品された青山真治監督『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』に出演。 2006年に中編『点滅……』が第135回芥川賞(2006年上半期)候補作品に選ばれた時には1票も入らずに落選、中原がこれを受けて『SPA!』誌上で選考委員の批判(多くの選考委員に対しては批判的であったが、黒井千次については真摯な選評への謝辞を述べている)を記し一部で話題になった。一方で短編集『名もなき孤児たちの墓』は、審査員の大方の支持を受け同年の第28回野間文芸新人賞を受賞。群像誌上の選評では唯一の反対票を投じた江國香織からも「二重の×をつけた」とされ、ほぼすべての選考委員が『名もなき…』についてのみ言及、結果として、完全無視された芥川賞の選考と好対照をなした。 文芸誌のコラムやインタビューでは「活字を書いて生活していくことの苦しさ」を言い立てることが多い。『文學界』2008年4月号で行なわれた、古井由吉、筒井康隆、高橋源一郎、島田雅彦、川上未映子ら作家11人による大座談会「ニッポンの小説はどこへ行くのか」に出席した際も、中原は終始「小説は、辛くて辛くて書きたくない。でも、書かないと、その辛さがわかってもらえない」というような発言を繰り返し、司会の高橋源一郎から「中原君はほっときましょう」と言われている。2008年、高橋源一郎の選考により『中原昌也 作業日誌』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。高橋は「おれの基準で、いちばん小説になっていたもの、最高の小説だったもの、それが、一見、ただの日記にすぎない、聞いたことも見たこともないCDやDVDの膨大な購入リストとグチと泣き言ばかりの、この中原昌也の『作業日誌』だった」との選評を行なった。 2009年、矢内原美邦演出の舞台『五人姉妹』の音楽を手がけた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中原昌也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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