翻訳と辞書
Words near each other
・ 中原成通
・ 中原戦争
・ 中原文夫
・ 中原新
・ 中原日菜
・ 中原早苗
・ 中原昌也
・ 中原暢子
・ 中原朋哉
・ 中原朝日
中原木工允
・ 中原未來
・ 中原杏
・ 中原村
・ 中原村 (三重県)
・ 中原村 (岐阜県)
・ 中原村 (熊本県飽託郡)
・ 中原村 (神奈川県)
・ 中原村立中原小学校
・ 中原果南


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

中原木工允 : ウィキペディア日本語版
中原木工允[なかはら もくのじょう]
中原 木工允(なかはら もくのじょう、生年不詳 - 天文15年(1546年6月28日)は、戦国時代武士。実名不詳、「木工助」と記す文献も存在する。
== 経歴 ==
因幡山名氏の重臣・武田国信の郎党であった。天文15年(1546年)6月、橋津川の戦いに参加、相手方の大将・尼子豊久を討ち取る功を為した。『陰徳太平記』などによれば、豊久が武田方の放った矢を受け、落馬したところに、すぐさま駆け寄って討ち取ったという。木工允の働きにより、尼子の軍勢は一時、総崩れとなったが、一報を聞いて激怒した尼子国久が軍勢を立て直し、武田軍に猛攻を加えたために、瞬く間に形勢が逆転、武田軍は壊滅するに至った。木工允はそのような中で奮戦していたが、最後には尼子の兵に囲まれ、討ち取られた。尼子国久は敵ながら最期まで首を離さなかった木工允を褒め、禅院において丁重に弔ったと伝えられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中原木工允」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.