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両岸関係史(りょうがんかんけいし)では、台湾海峡の両岸にある中国(中国大陸)と台湾の関係(いわゆる中台関係)の歴史について概観する。 == 鄭氏政権から日清戦争終結まで(1662年~1895年) == 台湾には古来、マレー・ポリネシア系の先住民(台湾原住民)が居住していたが、12世紀ごろから中国大陸から漢民族が到来し始め、13世紀末に元の世祖クビライが台湾南西の島、澎湖島に巡検司を設置した。 明代後半の16世紀末から、現在の福建省からの移民が本格化した。1661年、鄭成功(実母は日本人)が当時台湾を植民地支配していたオランダを駆逐して、台湾史上初の漢民族政権を樹立した(鄭氏政権)。しかし、鄭氏政権は1683年、わずか20年余りで清朝に制圧された。鄭成功は、「反清復明」(満州族の王朝である清を打倒し、漢民族の王朝である明を復興する)の目標を果たすことなく死去したが、台湾開発の基礎を築いた実績は今日の台湾でも高く評価されており、台湾人の精神的支柱(開発始祖)と呼ばれることがある。 鄭氏政権が倒れた翌年の1684年、康熙帝が台湾領有の詔勅を下し、台湾を清朝の版図としたが、台湾を「化外の地」として扱って実質的に統治せず、漢民族の移住を厳しく制限した。しかし、その後も福建人や広東人、客家人が台湾に多数移住した。 台湾出兵の発端となった台湾原住民による日本人船員殺害事件(1871年)では、清朝は明治政府の賠償要求に対し、管轄外として拒否した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「両岸関係史」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Cross-Strait relations 」があります。 スポンサード リンク
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