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下呂線(げろせん)は、岐阜県中津川市の中央西線中津川駅から同県下呂市の高山本線下呂駅を結ぶ計画であった日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線で、建設中止となった未成線である。全長47.6km。起点と終点の名前をとって中呂線とも呼ばれた。 中津川から東の飯田に向けて建設が進んだ中津川線とは違い、工事の進捗度は低かった。南半分の区間は下呂線の建設と引き替えで廃止された北恵那鉄道(現:北恵那交通)の中津町駅 - 下付知駅間の路盤を転用する予定であった。しかし、北恵那鉄道と同様に平地の狭い付知地区の土地買収に地元から猛烈な反対を受け建設は頓挫した。 == 歴史 == * 1922年(大正11年)4月11日 予定線として改正鉄道敷設法別表(第73号)に登載。 * 1924年(大正13年)8月5日 北恵那鉄道中津町駅 - 下付知駅間が開通。 * 1957年(昭和32年)4月3日 調査線に昇格。 * 1962年(昭和37年)3月29日 工事線に昇格。 * 1964年(昭和39年)4月22日 日本鉄道建設公団工事線となる。 * 1975年(昭和50年)3月10日 付知 - 下呂間について工事実施計画認可。 * 1978年(昭和53年)9月18日 北恵那鉄道線廃止。 * 1980年(昭和55年)12月27日 日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)により建設凍結。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「下呂線」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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