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中国人民銀行[ちゅうごくじんみんぎんこう]
中国人民銀行(ちゅうごくじんみんぎんこう、Zhongguo Renmin Yinhang、英語:People's Bank of China)は、中華人民共和国の中央銀行である。 == 中国人民銀行の設立と単一銀行制度の確立の時代 == 中国共産党は1948年12月1日、中国人民銀行(PBOC)を設立した。戦時中に中国共産党の革命根拠地にあった華北銀行(河北省石家荘)、北海銀行(山東省済南)、西北農民銀行(陜西省延安)の3行を合併させたものだった〔張(2012年)3ページ〕。12年間続いた悪性ハイパーインフレ下にあり、例えば上海では1949年6月から1950年2月までの間に卸売物価指数は約21倍となるなど、経済がほぼ崩壊した中での創設だった〔〔天児(2013年)30ページ〕。中国人民銀行は、政務院(国務院の前身)の直属部門として財政経済委員会の指導下で、新しく国民経済体制を支える金融体制を構築することになった〔。まず、同行は各地に支店を開設し、国家銀行の体制を作った。既存の金融機関に対しては、外国銀行の場合はその特権を取消し、大手官僚資本銀行の場合は、その管理を引き受けることとした〔。市中銀行は同行の管理下に入り、最終的には同行の一部になった〔〔大西(2003年)72ページ〕。同行は通貨を発行できる唯一の機関であり、発行準備は金(ゴールド)ではなく、国家の保有する物資とした〔張(2012年)4ページ〕。このことは、実際に供給できる価値以上に紙幣を発行しないことを意味し、それによって貨幣価値を保とうとしたのである〔。同行は中国での外貨の流通を禁止し、流通通貨を「人民元」に統一した〔。「人民元」の価値を安定させるため、政府は物価連動型国債を発行し、同行も物価連動型の預金商品を開発して資金を集めた〔。1949年から1952年の3年間の経済回復期が終わった頃、同行は中国各地にある支店ネットワークを通じて資金を吸収する体制をほぼ整えた〔。同行は預金以外に、貸出、送金、外国為替などの銀行業務も行っていた〔。これが、中国建国後から改革開放までの約30年間続いた同行による「大一統」体制(単一銀行体制)の確立であった〔〔。この体制下のもとで同行は中央銀行であると同時に一般銀行業務を行う国内唯一の銀行だった〔〔。中国全土の銀行窓口が中国人民銀行の組織で、機能によって本店、支店、分支店、事務所、貯蓄所などに分かれていた〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中国人民銀行」の詳細全文を読む
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