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中国共産党第十三期中央委員会第四回全体会議 : ウィキペディア日本語版 | 中国共産党第十三期中央委員会第四回全体会議[ちゅうごくきょうさんとうだい13きちゅうおういいんかいだい4かいぜんたいかいぎ] 中国共産党第十三期中央委員会第四回全体会議(ちゅうごくきょうさんとうだい13きちゅうおういいんかいだい4かいぜんたいかいぎ)は、1989年6月23日、6月24日の2日間に北京で開催された中国共産党中央委員会の会議。略称は第13期4中全会。この会議では第二次天安門事件の総括が行われ、趙紫陽を正式に中央委員会総書記から解任し、江沢民が後継の総書記に選出された。 ==開催まで== 胡耀邦の失脚によって総書記に就任した後、保守派の標的となっていた趙紫陽は、胡の死後に発生した学生達のデモに対する対応を巡り、李鵬や保守派の長老と激しく対立した。趙は北京市における戒厳令布告に反対し、戒厳令を決定した5月17日の党中央政治局常務委員会において、総書記の辞職を申し出た。そして、5月19日午後10時より開催された戒厳令を正式布告する会議を欠席し、趙の総書記解任が決定的となった。趙は5月19日未明に天安門広場で学生たちを見舞ってからは公式の場に姿を現さなくなった。 当時の最高指導者である鄧小平は、胡耀邦・趙紫陽と、自身が総書記に推薦した人間が連続して「問題を起こした」とあって、次の総書記人事を主導することはできなかった。そのため、陳雲・李先念が推した江沢民を総書記とすることが八大元老の会議で決定された。江沢民は5月31日に北京の鄧小平を訪れ、総書記就任を打診されたが、「中央委員会で正式に選出されるまでは総書記の肩書きでは動けない」と主張した。このため、江は公の場に出ずに、李鵬とともに4中全会の準備を担うことになった。
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