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中国国民党第五期第三次中央執行委員全体会議(ちゅうごくこくみんとうだいごきだいさんじちゅうおうしっこういいんぜんたいかいぎ)は通常三中全会と呼ばれ、中国国民党が1937年2月15日から同月21日まで行った会議である。日本との外交努力継続、共産主義の根絶、民生主義に基づく経済建設を決定した。前年12月に西安事件が起きたことから注目された中国共産党との関係に関しては同党との絶縁を決議した。日本との外交努力継続も決定されていたが国民政府はこの大会後に中央集権化を進め、地方の独立政権を従え、一部では官憲による排日運動も行われた。 File:Wang Jingwei.png|汪兆銘 File:Chiang Kai-shek in full uniform2.jpeg|蒋介石 File:Lizhongren.jpg|李宗仁 File:Feng Yuxiang.jpg|馮玉祥 ==汪兆銘の所信表明と大会宣言== 汪兆銘は2月15日の三中全会の開会において和平統一の進捗、綏遠戦争勝利、蒋介石の西安脱出を祝福した。続いて三中全会の主要議題については領土保全と喪失した領土の回復、西安方面の安定化、国民経済建設運動、民主政治実現への意欲を示した〔『東京朝日新聞』1937年2月16日付朝刊 3面〕。 2月21日には大会宣言が採択され、対外方針に関する部分では日中国交を調整する努力の継続と冀東及び冀察の行政主権回復の短期実現を求め、対内方針に関する部分では自力で共産勢力を根絶し、民生主義による経済建設に邁進するとしている〔『国民新聞』1937年2月22日付朝刊 1面〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中国国民党第五期第三次中央執行委員全体会議」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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