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中国正教会(ちゅうごくせいきょうかい)は、正教会の中国における自治教会。 中国には他に、コンスタンディヌーポリ総主教庁の管轄下にあり、中国のみならず台湾でも活動する香港および東南アジア府主教区がある。 == ロシア正教会の布教 == ロシア正教会の最初の伝道者と信者の集団が中国入りを果たしたのは元代のことであるが、後代には伝わらなかった。1684年に下級聖職者のマクシム・レオンチェフを伴う31人のロシア人の信徒が中国へ到来した。彼らは黒竜江支流のアルバジンで捕虜になり、北京に送られた。1685年、清朝の康熙帝は、ロシア領で捕らえたロシア系住民を清に移住させたのである。マクシム・レオンチェフは北京で最初の正教会の教会を建てた。こうして正教会がシベリア経由で中国に再び入ったのである。 正教会の清代以降で最初の伝道団は、1715年に北京の掌院イラリオンによって結成された。この伝導団の最初の記録は、1727年の露清条約に現れる。伝道団の意図は中国人に福音をもたらすことではなく、最初の伝道者たちを輔弼することであり、後にはロシア大使の役割も果たすようになった。 1684年からの150年の間、正教会は多くの信奉者を出すことはなかった。1860年に北京には、ほんの200人の信徒を数えただけであり、そこには清に帰化したロシア人の末裔も含まれていた。だが、1860年をすぎると、伝道団が再浮上するのである。伝道団は1850年代から1860年代にかけて4巻の中国学研究書を上梓した。この分野の研究で二人の修道士が有名になった。チュヴァシ人のイアキンフ・ビチュリンと、掌院パルラディ・カファロフである。かれらは非常に有用な辞書の編纂者であった。 道光年間には現在の新疆ウイグル自治区伊犂カザフ族自治州アルタイ地区にあたる地区に無僧派の古儀式派信徒が移住している。1860年にはロプ・ノール湖畔に入植しようとして失敗した古儀式派の集団がいた。義和団の乱のあいだ伝道団は大きな被害を受けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中国正教会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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