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中国自動車道女子中学生手錠放置事件(ちゅうごくじどうしゃどうじょしちゅがくせいてじょうほうちじけん)は、2001年7月24日に兵庫県神戸市北区の中国自動車道で起こった事件。 == 事件の経緯 == 2001年7月24日午後10時36分に、中国自動車道の神戸市北区の下り車線を通りかかったトラック運転手が、路肩付近で車線を塞ぐようにうつ伏せに倒れている「人らしき物体」に気がついた〔新潮45(2002)、p.293〕。現場から10mほど先に車を停めて確認すると、血の流れる跡が見えたため警察に通報した〔。通報している最中に10トントラックが被害者を轢いて走り去った〔。その後、運転手の仲間に発炎筒を持ってこさせ、現場の先に置いたという〔。約1時間後に救急車が到着し搬送された〔。その時は被害者はまだ存命しており、担架に乗せられる際に、両手にシルバーの鉄製手錠が嵌められていたのを運転手らが確認している〔新潮45(2002)、pp.293-294〕。 被害者は大阪府大阪市東淀川区に住む12歳の女子中学生で、4人姉弟の次女だった〔新潮45(2002)、pp.293,297〕。病院に搬送された被害者は心肺停止状態で瞳孔も開いていた〔新潮45(2002)、p.294〕。また、頭部や顔面は血だらけで身体のあちこちに擦過傷があり、特に背中から尻にかけて皮膚が広範囲に剥離している状態だった〔。また、後頭部が割れており、頭蓋骨骨折および脳挫傷で、大腿骨は原形がわからないほど複雑骨折していたという〔。 病院の懸命な治療活動が行われたが、25日未明に被害者は失血死で死亡した〔。同年9月8日に、被害者に手錠をかけて監禁し、高速道路上に放置した疑いで、中学校教師のF(当時34歳)が兵庫県警によって逮捕された〔。Fは手錠マニアで、女子中学生やレイプ行為に執着する性倒錯者であった〔新潮45(2002)、p.295〕。Fは警察の取り調べに対して「被害者が中学生で嬉しかった。10代半ばの女性を援助交際の相手にしたかった」と供述している〔。 7月24日夜にFはツーショットダイヤルを通じて被害者と知り合い、JR吹田駅前で被害者と落ち合った〔。2人はワゴン車に乗り込み宝塚インターチェンジから中国自動車道に入った〔。途中、Fは後部座席に乗っていた被害者に手錠を掛けて、催涙スプレーを吹きかけた〔。神戸市北区に差しかかったあたりで被害者は手錠姿のまま後部座席のドアを開けて、時速80kmで走っていた車内から飛び降りた〔。Fはすぐに被害者の転落に気づいたが、そのまま逃げ去った〔。 また、被害者を轢き逃げした疑いで9月25日から事情聴取を受けていた鳥取県在住のトラック運転手(当時53歳)が、9月30日に、聴取の合間に自殺した〔新潮45(2002)、p.295-296〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中国自動車道女子中学生手錠放置事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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