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中国青年党 : ウィキペディア日本語版
中国青年党[ちゅうごくせいねんとう]

中国青年党(ちゅうごくせいねんとう)は1923年12月2日にフランスパリで結成された中華民国台湾)のミニ政党。現党主席は簡吉元
== 概要 ==

=== 結党当初 ===
中国青年党(以下「青年党」と記述する)はフランスに留学していた曽琦李璜等により1923年民国12年)12月2日にパリで結成された。「革命政党」を自認して、国家主義の精神に基づく外難の克服、中華民国の独立と自由の獲得、福祉国家の建設を理想とした。また、反共主義も掲げている。1924年(民国13年)4月、第1回党大会を開催し、曽が委員長に選出された。
同年、曽琦、李璜ら幹部は帰国し、国内で少年中国学会内右派として活動していた左舜生陳啓天らもこれに合流した。中国国内における青年党は当初「中国国家主義青年団」と称する秘密結社であり、国内正式結党の前後には共産党との武力抗争を展開していた。1926年(民国15年)、上海で第1回全国代表大会を開催して公的に政党活動を開始する。あわせて曽が中央執行委員会委員長に選出された。政治的には中国国民党を敵視し、北伐に反対して北京政府を支持した。この青年党の姿勢は、1927年(民国16年)の上海クーデター(四・一二政変)で蒋介石が権力を掌握し国民党が反共に転じても、変化が無かった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中国青年党」の詳細全文を読む



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