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中坊公平 : ウィキペディア日本語版
中坊公平[なかぼう こうへい]

中坊 公平(なかぼう こうへい、1929年8月2日 - 2013年5月3日)は、日本弁護士大阪弁護士会)。法学士(京都大学)。元日弁連会長。新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)特別顧問。菊池寛賞受賞者。
森永ヒ素ミルク中毒や豊田商事の被害者救済に弁護団長、破産管財人として尽力し、日本弁護士連合会会長や整理回収機構社長を務めた〔中坊公平氏が死去 元日弁連会長 日本経済新聞、2013/5/5〕。
1999年に設置された司法制度改革審議会において委員として参加し、法科大学院裁判員制度の導入に尽力した〔『毎日新聞』(2003年10月10日)〕。戦後日本を代表する弁護士であり、「平成の鬼平」とマスコミ各社に名付けられ呼ばれた。
== 経歴 ==

=== 出生から学生時代まで ===
京都府京都市出身。父・中坊忠治、母・富の次男〔青少年アンビシャス運動フォーラム講演録『金ではなく鉄として-私の生い立ちから-』(平成14年8月31日、電気ホール(福岡市中央区渡辺通)、弁護士中坊公平)〕。生家は裕福で、公平付きの女中がいた〔。父親はかつて小学校の先生で、弁護士に転業したという経歴の持ち主だった〔。母親もまた小学校の先生をしていた〔。
生まれつき弱虫で体も弱く目立たない存在だったと述懐している。
1942年 同志社中学入学。戦争中学徒動員で、三菱電機・伊丹製作所の工場へ働きに行く〔。朝から晩まで工員として働いた〔。戦後物資のない時代、両親と田舎に帰り農業をした〔。
1948年 同志社大学(新制)入学。1949年 同志社外事専門学校編入を経て、1953年 京都大学法学部卒業。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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