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中城ふみ子 : ウィキペディア日本語版
中城ふみ子[なかじょう ふみこ]
中城 ふみ子(なかじょう ふみこ、1922年11月15日〈戸籍上は25日〉 - 1954年8月3日)は、日本の歌人北海道河西郡帯広町(現、帯広市)出身。本名、野江富美子。妹の野江敦子も歌人。中城は離婚した夫の姓。戦後の代表的な女性歌人の一人で、後進に大きな影響を与えた。
== 生涯 ==
現在の帯広市にて、魚屋を営んでいた野江豊作・きくゑ夫妻の長女として生まれた。北海道庁立帯広高等女学校(現北海道帯広三条高等学校)を経て、東京家政学院(現東京家政学院大学)卒業。在学中に池田亀鑑の指導を受けて短歌を始める。1942年、20歳のときに北海道大学工学部卒で国鉄に勤務していた男性と結婚。3男1女を出産する。
しかしふみ子の結婚生活は幸福なものではなく、夫は汚職に関与して高松市の鉄道管理局に転じたほか、女性問題も発生するなど、生活は乱れたものになっていった。その傍らで学生時代以来の短歌を再開し、小田観螢主宰の歌誌「新墾」への投稿を始める。その後子供たちを抱えて帯広へ帰郷し、1951年に夫と協議離婚。東京での就職を志すが、果たせず帰郷する。帰郷間もない1952年乳がんと診断され、左乳房の切除手術を受けた。だがすぐに再発転移していることがわかり、妹の嫁ぎ先である小樽に身を寄せて札幌医科大学附属病院放射線治療を始めた。1953年、『潮音』同人となる。
1954年4月、第1回『短歌研究』50首詠(後の短歌研究新人賞)応募作「冬の花火―ある乳癌患者のうた」が編集者中井英夫に見出され、特選となる。中井の考えにより雑誌発表時は「乳房喪失」と改題され、50首中42首の掲載となった。同年7月1日、川端康成の序文を付けた第一歌集『乳房喪失』を刊行。ふみ子自身はこのタイトルに反発していたが、中井の強い主張に最終的には折れた。『乳房喪失』は歌集としては異例のベストセラーとなる。同年7月29日、病状が悪化し中井英夫が北海道へ飛び見舞う。このときふみ子は中井を待たせて化粧してから面会している。しかし中井が帰京した翌々日、ふみ子は8月3日に病死してしまう。31歳の若さだった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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