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中城御殿(なかぐすくうどぅん)は、琉球王国の王世子(中城王子)の邸宅である。世子殿ともいう。 == 概要 == 琉球王国の王世子は、中城間切(現:中城村、北中城村、うるま市(津堅島))を采地(領地)としていたので中城王子と呼ばれ、その邸宅は中城御殿と呼ばれた。ここから転じて、中城王子その人も、他の御殿(うどぅん)当主と同じように、主に話し言葉で中城御殿と呼ばれるようになった。 中城御殿は、最初首里城へ至る綾門大道(都大路)に面した現・沖縄県立首里高等学校の敷地に尚豊王時代に創建された。 1870年(明治3年)、龍潭北側に新たに建設されることが決まり、1873年(明治6年)竣工、1875年(明治8年)完成した。新しい中城御殿は敷地約3000坪、建物は約800坪(別棟を除く)あった。 廃藩置県時の首里城明け渡し後は、琉球国王が中城御殿へ退去してその本邸となり、尚侯爵家の東京移住後は沖縄における尚家本邸となった。 1945年(昭和20年)、沖縄戦により焼失し、多くの尚家伝来の宝物もその後の米軍略奪に遭い、現在まで行方不明となっている。戦後は、琉球政府立博物館、後沖縄県立博物館の敷地となり、2007年(平成19年)、新県立博物館へ移転のため閉館した。2012年(平成24年)、博物館跡地に中城御殿が復元されるとの報道がなされた〔「中城御殿を復元へ 旧県立博物館跡」沖縄タイムス 2012年1月27日 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中城御殿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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