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中尾長[なかお ひさし]
中尾 長(なかお ひさし、1910年 - 1937年9月19日)は、広島県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。 ==来歴・人物== 広島県出身であるが、出生地が県内のどこであるかは未詳。広陵中に入学し、野球部に入部する。1926年、春の選抜でエース・田岡兵一、角田隆良らと初優勝に貢献。中尾も一回戦の静岡中戦で本塁打を打った。翌1927年選抜は田部武雄、八十川胖両好投手を擁し、打線も中尾も含め山城健三、三浦芳郎らを揃え広陵野球部史上最強チームと言われた。しかし、連覇を狙った春の選抜では、大会屈指の好投手小川正太郎擁す和歌山中に、夏の選手権も水原茂らの高松商に決勝で敗れ、広陵中は春夏連続準優勝であった。なおこの年、春の選抜では、山城が1回戦の静岡中戦と2回戦の松本商戦で史上3人目の2試合連続本塁打を、夏の選手権では、2回戦の敦賀商戦で、八十川が史上2人目のノーヒットノーランを、中尾と三浦が本塁打を記録した。中尾は阪神甲子園球場で2本のホームランを記録していることから、当時の野球用具の状況を考えれば、かなりのスラッガーであったと思われる。 明治大に進学し、1934年には(野球部)の第23代主将を務める。 大学卒業後、神戸市の川崎造船所(現・川崎造船神戸工場)に入社。明治大学野球部の先輩である井野川利春の誘いで、戦前の実業団野球の強豪門鉄(門司鉄道局)に移る。その後、召集されるも1937年に除隊し、東京セネタースに入団する。しかし、登録のみで試合出場は無いまま、同年7月13日再召集される。同年9月19日中国北部山岳地帯で戦死。 東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、彼の名前が刻まれている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中尾長」の詳細全文を読む
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