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中山 博貴(なかやま ひろき、1985年12月13日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF。 == 来歴 == 鹿児島城西高校在学中の2003年に九州プリンスリーグで優勝し、全日本ユース選手権に出場した他、U-18日本代表としてAFCユース選手権2004に出場した。 2004年より京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に入団し、新人ながらも3得点をあげる。2年目はユース代表の遠征中に怪我をして更にワールドユースの代表に漏れその直後に全治2ヶ月の重傷を負いシーズンの半分以上を欠場した。3年目の2006年はJ1初スタメンの浦和レッズ戦でJ1初ゴールをあげた。 2004年シーズン途中に柱谷幸一が監督に就任してからは4バックを採用することが多くなり、スタメンでの起用は少なくなり、ボランチにも挑戦した。2006年途中に美濃部直彦が監督に就任してからは再び司令塔のポジションを務めていた。 2009年シーズン第33節浦和戦にてJリーグ通算14,000ゴールを決めた。 2011年シーズン前に坊主になりブログにアップ。チームの副キャプテンに就任。2012年シーズンはキャプテンに就任した。 2015年シーズンをもって現役を引退し、2016年より京都の普及部コーチに就任した 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中山博貴」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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