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中山家[なかやまけ]
中山家(なかやまけ)は、羽林家の家格をもつ公家。江戸時代の家禄は200石。 藤原北家花山院家の支流。花山院忠宗の子中山忠親を祖とする。江戸時代後期の当主の愛親は、尊号一件の際に、老中松平定信と対決して正親町公明と共に処分された。 愛親の曾孫の忠能は明治天皇の生母である典侍中山慶子の父で、幕末から明治維新にかけては政治的にも活躍し、条約勅許に反対したり、和宮親子内親王の降嫁を推進したりした。忠能の七男・忠光は尊王攘夷派の急先鋒で天誅組の首領となったが、後に長州藩の刺客により暗殺された(天誅組の変)。 明治維新後には、幕末からの功績を認められて忠能は侯爵に叙せられ、神祇伯を務めた。忠能の孫の孝麿は東宮侍従長や東宮大夫、宮中顧問官を歴任した。 == 歴代当主 == # 中山忠親(1131年-1195年) # 中山兼宗(1163年-1242年) # 中山忠定(1188年-1256年) # 中山基雅(?-?) # 中山家親(?-?) # 中山定宗(1317年-1371年) # 中山親雅(1353年-1402年) # 中山満親(1371年-1421年) # 中山定親(1401年-1459年) # 中山親通(1426年-1462年) # 中山宣親(1458年-1517年) # 中山康親(1485年-1538年) # 中山孝親(1513年-1578年) # 中山親綱(1544年-1598年) # 中山慶親(1567年-1618年) # 中山元親(1594年-1639年) # 中山英親(1627年-1674年) # 中山篤親(1657年-1716年、正親町実豊子) # 中山兼親(1685年-1734年) # 中山栄親(1709年-1771年) # 中山愛親(1741年-1814年、栄親弟正親町実連子) # 中山忠尹(1756年-1809年) # 中山忠頼(1778年-1825年) # 中山忠能(1809年-1888年) # 中山忠愛(1832年-1882年) # 中山孝麿(1853年-1919年) # 中山輔親(1894年-1980年) # 中山忠敬
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中山家」の詳細全文を読む
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