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中山競馬場(なかやまけいばじょう)は、千葉県船橋市(一部市川市)にある中央競馬を施行する競馬場。施行者ならびに管理者は日本中央競馬会である。 == 概要 == 中山競馬の起源は1907年(明治40年=開催年)に千葉県東葛飾郡明村大字岩瀬(現在の松戸市大字岩瀬)につくられた松戸競馬場(運営は総武競馬会から松戸競馬会倶楽部)。松戸競馬会倶楽部は1919年(大正8年)8月10日に陸軍省からの競馬場地の買収申し込みを受け入れ、東葛飾郡中山村大字若宮(現:市川市若宮)へ移転した。 移転した1920年(大正9年)には中山競馬倶楽部と名称が改められ、1927年(昭和2年)に少し北東側の東葛飾郡葛飾村大字古作(現:船橋市古作)に馬場が移された。その後、1937年(昭和12年)に日本競馬会(現在の日本中央競馬会)へ統合、中山競馬場として発足し現在へ至る。移転後の初開催は1920年(大正9年)3月12日である。 中山競馬は千葉県における観光事業の1つとなっており、昭和5年には図-1のような観光地図も作られた。 *「中山」の名称の由来は、移転当初、施設の大部分が千葉県東葛飾郡中山村(後に中山町となり、1934年(昭和9年)11月3日に市川市へ編入)に属していた(残りは葛飾村(1937年(昭和12年)4月1日に船橋市へ編入))ことに由来する(現在地には1927年(昭和2年)10月に建設が決定され、1930年(昭和5年)に開設された)。 1940年に開催される予定であった東京オリンピックでは馬事公苑や東京競馬場とともに馬術競技で使用されることとなっていたが、日中戦争の影響で中止となった。 歴史的には、東京競馬場の東京優駿(日本ダービー)に対抗する競走を設けることが長い間念願であった。周辺の地形が起伏に富んだ地形であり、それを生かして障害コースが設けられ、そこを舞台に中山大障害が開催された。さらに、第2代理事長有馬頼寧によって中山グランプリ(現在の有馬記念)が創設された。今では年末の風物詩となっている。 また、年末にはクリスマスのイルミネーションが施されるが、高さ20mのヒマラヤスギを使ったクリスマスツリーは、生きた樹木のクリスマスツリーとしては日本国内で最大級である。他の見所としてはパドック近くに建てられたハイセイコーの像がある。 アメリカのローレルパーク競馬場と提携を結んでおり、ローレル競馬場賞中山牝馬ステークスが施行されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中山競馬場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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