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中山茂[なかやま しげる]
中山 茂(なかやま しげる、1928年6月22日 - 2014年5月10日〔中山茂氏が死去 科学史家 日本経済新聞 2014年5月13日〕)は、日本の科学史家。神奈川大学名誉教授。国際科学史アカデミー(International Academy of the History of Science)副会長。 == 経歴 == 兵庫県尼崎市生まれ。1941年、大阪府立北野中学校(旧制。現大阪府立北野高等学校)に入学、同期に漫画家の手塚治虫、元駐英大使の北村汎、東大名誉教授で医学者の渥美和彦がいる。翌年、広島県に転居したがため、(旧制)広島県立広島第一中学校(現・広島県立広島国泰寺高等学校)に編入。1945年、(旧制)広島高等学校理科甲類(現・広島大学)に入学したが、高須(現・広島市西区)の自宅で原爆により被爆する。1948年、東京大学理学部天文学科〔この時点では旧制大学である。〕入学のため上京、1951年に卒業した後、平凡社に入社。1955年、フルブライト留学生としてハーバード大学大学院に入学、トーマス・クーン、エドウィン・O・ライシャワーと出会う。在学中に英ケンブリッジ大学、京都大学へ留学した際、ジョゼフ・ニーダム、薮内清に師事する。1960年、科学・学術史専攻の博士号(Ph.D. in History of Science and Learning)取得。帰国後、東大教養学部に講師として着任、定年一年前に助教授となる〔東大では、任期つき講師なのか専任講師なのかはっきりせず、遂に教授に任用されなかった。中山自身の記述によれば、大森荘蔵・伊東俊太郎ら科学史・科学哲学教室の教官が、いわば"生え抜き"でなかった中山を正式に助教授にすることを拒み続けたとされている(『一科学史家の自伝』「第三部 1859-1962 帰国、そして東京大学科学史・科学哲学教室へ」p.195以降の記述参照。)〕。1989年、東大を定年退官し、神奈川大学教授となった。2008年から2009年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校ポール・テラサキ・チェア。 2014年5月10日午後8時23分、肝細胞癌のため東京都渋谷区の病院で死去。85歳没。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中山茂」の詳細全文を読む
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