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中山道六十九次(なかせんどう-ろくじゅうきゅうつぎ)は、日本の近世にあたる江戸時代に栄えた五街道の一つ中山道に設けられた、69を数える宿場の総称。 中山道は、江戸・日本橋と京・三条大橋の間を結ぶ主要街道2路のうちの、山地側の1路である。 もう1路である東海道とは、江戸側は同じ日本橋から発するが、山手と海沿いに分かれて西進し、近江国に入って草津宿で合流。そこからは京までの区間を共有する。 また、江戸・日本橋から発する甲州街道とは、その終点である信濃国の下諏訪宿で合流する。 中山道六十九次は天保6- 8年(1835-1837年)頃、浮世絵師・渓斎英泉および歌川広重により、名所絵(浮世絵風景画)『木曽街道六十九次』として描かれている〔『木曽街道六十九次』は「木曾街道」(木曾道中、岐阻街道、木曾海道などとも)と銘打っているが、主として描かれているのは木曽街道を脇往還とする中山道である。〕 。 == 六十九次の一覧 == 宿場については板橋宿を 1、大津宿を69とする通し番号〔名所絵では起点と終点も数に入れるため、表記上の数がずれる。〕を付してある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中山道六十九次」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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