翻訳と辞書
Words near each other
・ 中島三郎助
・ 中島与曽八
・ 中島中学校
・ 中島中町
・ 中島久万吉
・ 中島久之
・ 中島久平
・ 中島久美子
・ 中島久萬吉
・ 中島九七式艦上攻撃機
中島九右衛門
・ 中島九郎
・ 中島亜梨沙
・ 中島亜莉沙
・ 中島京子
・ 中島京子 (AV女優)
・ 中島京子 (作家)
・ 中島今朝吾
・ 中島仰山
・ 中島伊津子


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

中島九右衛門 : ウィキペディア日本語版
中島九右衛門[なかしま くえもん]
中島九右衛門(なかしま くえもん)は、大阪府枚方市において、江戸時代に栄えた旧家。屋号「柴屋」。
始祖は嵯峨天皇第十二子河原院(左大臣源融)の末裔嵯峨源氏の末流。尾張国中島郡中島村、中島城主・中島蔵人(鎌倉時代)。中島左衛門尉宣長(『吾妻鏡』に記載)。尾州中島城主本居山城守源氏孝(室町時代)。中島氏種(戦国時代/豊臣氏・大坂七手組頭)。
== 略記 ==
祖先の中島氏種は、豊臣氏の重臣(大坂七手組頭)。大坂夏の陣以後、氏種の一子が河内国茨田郡岡新町村(現・大阪府枚方市新町)に帰農した。江戸時代、幕府から代々「中島九右衛門」(屋号・柴屋)を名乗ることを許されていた。紀州徳川家専用本陣枚方宿役人、金融業・酒造業等を兼帯し、大阪北部屈指の豪農として栄えた。天保期には、小作米864石、所有地63町歩(約62ヘクタール)に達した。当時の建物は安政4年(1857年)、火災により焼失。以降再建されるも、近年の急速な都市化により屋敷は現存しないが、往年の枚方宿を偲ぶ多数の古文書が残されている。現在、中島家の子孫は主に、大阪府枚方市新町・同市中宮町・大東市新田に3家ある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中島九右衛門」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.