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中島今朝吾 : ウィキペディア日本語版
中島今朝吾[なかしま けさご]

中島 今朝吾(なかしま けさご、1881年6月15日 - 1945年10月28日)は、日本の陸軍軍人。第16師団師団長、第4軍司令官、階級は陸軍中将
== 略歴 ==
大分県宇佐市下乙女出身。1896年5月、旧制私立海軍予備校を経て東京陸軍地方幼年学校第1期に入学。1903年陸軍士官学校(15期)を卒業し、日露戦争に従軍。1913年11月に陸軍大学校(25期)を卒業、1918年7月フランス駐在、1923年5月帰朝。1929年8月陸軍大学教官、1932年4月に少将舞鶴要塞司令官。1933年8月に陸軍習志野学校校長、1936年3月に中将昇進。1937年8月に第16師団長となり、第二次上海事変では河北省に進軍し、上海陥落後には南京攻略戦武漢作戦に参加。1938年7月には第4軍司令官を歴任し、1939年9月に予備役。終戦直後の1945年10月に病死。
憲兵司令官在任時、宇垣一成大将が組閣の大命を受け参内途中の車を多摩川六郷橋で停め、宇垣を脅迫して組閣を妨害した。
第16師団長として南京攻略戦に参加した時の日記には、本攻略戦において捕虜を取らない方針であること、捕虜を日本刀の試し斬りに使ったこと、捕虜を一ヶ所にまとめて「処理する予定」「そのためには大きな濠を要する」との記述がある。エスカレートしていた南京での掠奪に、師団長であった中島自身も加わり〔『日中歴史共同研究』 栄維木「第二部 第二章 日本の中国に対する全面的侵略戦争と中国の全面的抗日戦争」 p7〕、日記には「もし自分の管轄範囲内で物を探すのであれば好きにさせ、少なくとも戦場心理の表現として、恐らく道徳に悖るとは考えないだろう。しかし他人の勢力範囲内に入りしかも司令部の標識が打ち付けられている建物で、平気で盗みを働くのはあまりにも行き過ぎている」と書いている〔南京戦史資料編纂委員会編『南京戦史資料集』Ⅰ「中島今朝吾日記」、偕行社、p226〕〔『日中歴史共同研究』 栄維木「第二部 第二章 日本の中国に対する全面的侵略戦争と中国の全面的抗日戦争」 p7〕。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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