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中島 仰山(なかじま ぎょうざん、天保3年7月10日(1832年8月5日) - 大正3年(1914年)4月22日〔仰山の子孫が所持していた除籍簿の記載より(斉藤(1996)p.37)。〕)は、日本の明治時代の絵師、一説に写真家。旧姓は船橋。通称は鍬次郎。同時代の関根雲停や増山雪斎に並び、博物図譜的な動物画を数多く残した。 == 来歴 == === 出自 === 一橋家付け切りの船橋半右衛門の次男として生まれる。ここでいう「付け切り」とは、身分は幕臣だが、代々一橋家だけに仕える身分である。一橋家の家臣は、幕臣に比べて薄給だが格式は高かった。船橋家9代当主正道は600俵の用人格で、旗本寄合席なら3000石相当の布衣を許されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中島仰山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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