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中島信行 : ウィキペディア日本語版
中島信行[なかじま のぶゆき]

中島 信行(なかじま のぶゆき、弘化3年8月15日1846年10月5日) - 明治32年(1899年3月26日)は、日本の政治家。男爵。通称は作太郎。長男は中島久万吉。最初の妻は陸奥宗光の妹中島初穂1877年死去)で、後妻は女性解放運動家の岸田俊子
== 略歴 ==
土佐国高岡郡塚地村(現・高知県土佐市塚地)の郷士・中島猪三の長男。少年期に耕余塾へ通う。武市半平太土佐勤王党に加盟、のちに脱藩して長州藩遊撃隊に加わり、その後坂本龍馬海援隊で活躍した。龍馬の死後は陸援隊に参加する。
維新後は新政府に出仕した。明治13年(1880年)10月12日、13日に上野精養軒の敷地内で開かれた、日本初の野外耶蘇教大説教会(キリスト教野外大集会)で中島は、心を動かされキリスト教へ求道を始める。〔守部喜雅著『日本宣教の夜明』いのちのことば社、2009年〕さらに、同志社の創設者新島襄に出会い、「いくら政治上で自由とか民権だとか唱えても人間は罪の奴隷である限り、それは空しいことだ、聖書の中にも『真理はあなたたちを自由にする』〔ヨハネの福音書8章32節〕と書いてあるように、日本人を自由の民としたいなら、まずあなた自らキリストを信じて罪の問題を解決し自由独立の人とならなければならない」と忠告を受け、信仰を持つ決断をし、明治16年(1886年)に一番町教会植村正久牧師より洗礼を受けて熱心なクリスチャンになった。〔高野勝夫(1998年)118ページ〕
外国官権判事や兵庫県判事を経て、ヨーロッパ留学をした後は神奈川県令元老院議官をつとめた。自由民権運動が高まりを見せると、板垣退助らとともに自由党結成に参加して副総理となる。
保安条例によって横浜へ追放された後、第1回衆議院議員総選挙神奈川県第5区から立候補して当選〔第1回衆議院議員選挙 神奈川県5区 ザ・選挙参照〕。第1回帝国議会に於いて初代衆議院議長に選出されて就任。その後は明治26年(1893年)にイタリア駐在特命全権公使、同27年(1894年)には貴族院議員に勅選。
明治29年(1896年)6月、維新の功により男爵を授けられる。
明治32年(1899年)、療養中の神奈川県大磯別邸にて死去。54歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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