翻訳と辞書
Words near each other
・ 中島俊哉
・ 中島俊市郎
・ 中島保
・ 中島保彦
・ 中島信
・ 中島信也
・ 中島信号場
・ 中島信子
・ 中島信行
・ 中島修二
中島健
・ 中島健 (造園家)
・ 中島健人
・ 中島健仁
・ 中島健太
・ 中島健蔵
・ 中島健蔵・水原明窗賞
・ 中島健蔵音楽賞
・ 中島優子
・ 中島優子 (曖昧さ回避)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

中島健 : ウィキペディア日本語版
中島健[なかじま けん]

中島 健(なかじま けん、1978年2月12日 - )は、日本男性プロボクサーグリーンツダボクシングクラブ所属。北海道河西郡芽室町出身。身長163cm。北海道帯広三条高等学校近畿大学卒業。
== 来歴 ==
中学2年生からボクシングを始める。1994年、高校選抜ライトフライ級で優勝し、1996年1998年全日本選手権でそれぞれ3位に入賞した。アマチュア戦績は、72戦58勝14敗。
1999年10月21日、プロデビュー戦で1RKO勝ち。
2001年1月28日ロデル・マヨールフィリピン、後のOPBF東洋太平洋ミニマム級王者)に6R判定負けでプロ初の黒星を喫した。
2004年10月11日、8連勝で元WBA世界ミニマム級王者チャナ・ポーパオインタイ)と戦うも、6R判定で2敗目を喫した。
2004年10月11日、世界ランカーのアルマンド・デラ・クルス(フィリピン)に10R判定勝ち。
2005年8月21日WBCインター王者フランシスコ・ロサスメキシコ)と戦い、10R判定で3連勝となった。
2006年1月9日パシフィコ横浜でWBC世界ミニマム級王者イーグル京和に挑戦するが、終始イーグルの強打を浴び続け、7RTKO(1分1秒)負けを喫した。
2006年11月7日、OPBF東洋太平洋ライトフライ級王座挑戦者決定戦を國重隆と争うも、10R判定で敗れ挑戦権を得られず。
2007年4月26日、OPBF東洋太平洋ライトフライ級王者ファニト・ルビリアルに挑戦、グリーンツダの津田博明名誉会長の追悼興行であったが、5RKOで敗れ、引退を表明した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中島健」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.