翻訳と辞書 |
中島尚俊[なかじま なおとし]
中島 尚俊(なかじま なおとし、1947年(昭和22年)2月11日 - 2011年(平成23年)9月中旬)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)の元代表取締役社長。 == 人物 == 北海道旭川市の旭川鉄道管理局職員の家に生まれる。1965年(昭和40年)に北海道旭川北高等学校を卒業後、東京大学経済学部に入学。1969年(昭和44年)に大学を卒業し、日本国有鉄道(国鉄)に入職した。同期は20人の中には石原進や小池明夫がいた。 入社後は営業職を中心に勤務。1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によりJR北海道に転籍、同社の鉄道事業本部営業部長を経て、1994年(平成6年)に取締役、 1998年(平成10年)常務取締役旅行本部長、2003年(平成15年)6月に 代表取締役専務鉄道事業本部営業推進本部長、2007年(平成19年)6月に代表取締役社長に就任。 2011年(平成23年)9月12日、遺書を残し同日朝から行方不明であることをJR北海道が発表〔。午後には石狩市内の海岸で本人の自家用車が発見される。同年9月18日早朝、釣り人が北海道小樽市・オタモイ海岸の沖合約1キロの海上で遺体を発見し、小樽海上保安部(第一管区海上保安本部所属)の巡視艇が収容した。北海道警の検視の結果、指紋などから遺体が本人であると確認された〔失踪のJR北海道社長、遺体を確認…小樽沖 読売新聞 2011年9月18日18時13分 (JST)〕〔小樽沖の男性遺体、JR北海道社長と確認 朝日新聞 2011年9月18日17時42分 (JST)〕。 その後、遺書のうち社員宛てのものが公表された。そこには自殺の動機について直接的な表現はなかったが、当時社内で発覚した三六協定違反の謝罪や、同年5月に発生した石勝線特急列車脱線火災事故に触れたうえで安全意識の向上を社員に促す、といった文面がつづられていた〔JR北海道 中島社長が社員に残した遺書全文 Response. 2011年9月19日8時45分 (JST)〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中島尚俊」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|