|
中島 平太郎(なかじま へいたろう、1921年3月19日 - )は、デジタルオーディオ技術の草分け的人物とされる日本の技術者である。コンパクトディスク メディア(CD-DA規格) 開発においてソニー側の責任者で、「CDの父」とも呼ばれる。福岡県久留米市生まれ。任意団体CDs21ソリューションズ会長。ビフレステック株式会社代表取締役会長。 == 経歴 == * 1938年、福岡県立明善高等学校卒。 * 1944年、東京工業大学電気工学科卒(戦時下につき繰り上げ卒業)後、九州大学大学院特別研究生。工学博士。 * 1947年、NHK入局。音響技術研究に携わる。 * 1963年、石橋文化センター(福岡県久留米市)内の石橋文化ホールの音響設計実務に携わる。 * 1964年、東京オリンピックの音響システム(注: 公共放送設備ではなく競技場内の拡声設備)の責任者を担当。 * 1965年、NHK技術研究所音響研究部部長就任。 * 1968年、世界初のデジタル録音機を公開。 * 1968年、NHK放送科学基礎研究所所長就任。 * 1971年、ソニー入社。常務取締役技術研究所所長就任。当時の社長井深大によるヘッドハンティングであった。その時の井深の囁いた「物作りは楽しいぜ、来なよ」との台詞は有名。その後、音響事業部長、デジタルオーディオ部長などを歴任。 * 1981年、DAT懇談会会長および日本音響学会会長就任。 * 1981年、CD-DA発表。 * 1982年、世界初のCDプレーヤーを発売。 * 1983年、ソニーの子会社であるアイワ株式会社再建のため副社長に就任。 * 1984年、アイワ社長。 * 1989年、ソニーと太陽誘電の50:50合弁でCD-R製造販売を事業とする株式会社スタート・ラボが設立、社長就任。 * 1992年、社団法人日本オーディオ協会会長就任。 * 1992年、オレンジフォーラム(CD-R標準化団体)会長就任。 * 2001年4月25日、オレンジフォーラムとマルチメディアCDコンソシアムが合併し、任意団体CDs21ソリューションズが設立。会長就任。 * 2003年4月17日、CDs21ソリューションズが中島平太郎賞を創設。CDに貢献した人物に毎年贈られる。 * 2006年、ビフレステック株式会社設立。代表取締役会長就任。 * 2012年12月6日「音の日」、日本オーディオ協会60周年記念協会栄誉賞を受賞。 * 2014年4月1日、NH Lab.(Nakajima Heitaro Laboratory)を設立。音や振動が人に与える影響を基本から見直し新しい商品をいまなお開発中。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中島平太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|