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中島 弘貴(なかじま ひろき、男性、1988年7月5日 - )は、日本のキックボクサー。東京都八王子市出身。バンゲリングベイ・スピリット所属。 閉鎖となったシュートボクセ・アカデミージャパンのエースとして活躍した。 == 来歴 == 学生時代は野球部に所属。高校入学後、シュートボクセ・アカデミージャパンに入門した〔365人インタビュー 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年8月20日〕。 2006年7月16日、第25回全日本アマチュアシュートボクシング選手権・関東大会の中量級 (-67kg) で優勝を果たした〔[シュートボクシング] 7.16 神奈川:第25回アマ関東大会 BoutReview 2006年7月16日〕。 2006年9月23日、シュートボクシングでプロデビュー。デビュー以来、4戦4勝4KOを記録。 2007年10月にシュートボクセ・アカデミージャパンが閉鎖となり、バンゲリングベイ・スピリットに移籍した。 2008年11月30日、初参戦となったR.I.S.E.で73KING(ナミキング)に判定勝ち。2Rにキックを出した際に右足の甲を負傷し腫れ上がり、試合後はまともに歩けない状態であった〔【試合結果】出貝泰佑/中島弘貴 BoutReview 2008年12月11日〕。 2009年3月14日、全日本キックボクシング連盟「Krush.2」のオープニングファイトで影日"ポパイ"和徳と対戦し、KO勝ち。 2009年8月14日、Krushライト級グランプリ2009 〜開幕戦 Round.2〜で堤大輔と対戦し、判定勝ち。 2009年9月22日、Krush 70kg Tournament 2009 〜Road to MAX〜 準決勝で山内裕太郎と対戦し、判定勝ち。 2009年11月2日、Krush 70kg Tournament 2009 〜Road to MAX〜 決勝で廣野祐と対戦し、判定勝ち。優勝を果たすとともにデビュー以来11連勝を決め、K-1 WORLD MAX出場を決めた〔Krushライト級グランプリ2009 〜決勝戦 Final Round〜 試合結果 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年11月2日〕。 2010年3月27日、K-1 WORLD MAX 2010 〜-70kg Japan Tournament〜に出場。1回戦でTATSUJI、準決勝で日菜太と2試合連続でKO勝ちするも、決勝で長島☆自演乙☆雄一郎にKO負けを喫し、キャリア初黒星となった。 2010年7月5日、K-1 WORLD MAX 2010 〜-70kg World Championship Tournament FINAL16〜でアルバート・クラウスと対戦し、0-3の判定負け。 2010年12月30日、戦極 Soul of Fightでブアカーオ・ポー.プラムックと戦極キックボクシングルールで対戦し、0-3の判定負けを喫した〔【SRC戦極】12・30日沖発がフェザー級王座獲得!交流戦はSRCが勝利 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年12月30日〕。 2011年5月29日、Krush -70kg初代王座決定トーナメント 〜開幕戦〜でYOSHIと対戦し、3Rに右膝蹴りでKO勝ちを収めた〔【Krush】山本優弥が松倉信太郎に敗れる波乱!山内佑太郎、健太、中島弘貴が準決勝へ 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年5月29日〕。 2011年7月16日、Krush -70kg初代王座決定トーナメントの準決勝で第2代NJKFスーパーウェルター級王者健太と対戦し、0-2の判定負けを喫した。 2011年9月25日、K-1 WORLD MAX 2011 -70kg Japan Tournament FINALに出場。1回戦で森田崇文と対戦し、0-3の判定負けを喫した。 2012年1月22日、REBELS.10で、欧州最大のキックボクシング団体IT'S SHOWTIMEの日本王座として制定されたSTJ70kg級の初代王座決定戦が行われ、ダニロ・ザノリニと対戦し、5-0の判定勝ちで初代王者に就いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中島弘貴」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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