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中島 成雄(なかじま しげお、男性、1954年1月16日 - )は、日本の元プロボクサー。茨城県出身。ヨネクラボクシングジム所属。WBC世界ライトフライ級王者。駒澤大学卒業。大学出身としてロイヤル小林に続く世界王者第2号。 世界初挑戦時のトレーナーはジョー小泉が務めた。才能は申し分なかったが、暢気な性格がボクシングには災いし長期政権を築くことができなかった。試合前には、米倉会長は自宅近くのアパートに住まわせ、ロードワークのために毎朝起こしに行っていたという。 == 来歴 == 高校時代にボクシングを始め、駒澤大学ではエースとして活躍。プロスポーツ界に進んだ同期には中畑清(野球)、天ノ山静雄(相撲)などがいる。 1976年7月12日、プロデビュー。 1980年1月3日、WBC世界ライトフライ級王座に初挑戦。王者・金性俊(韓国)を15回判定で降し王座獲得。その4日後、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)にて新曲「悲しき友情」を披露する西城秀樹の応援ゲストとして出演した(吹打竜などジムの同僚も西城のバックダンサー的存在として参加)。 1980年3月24日、WBC世界王座初防衛戦。イラリオ・サパタ(パナマ)に15回判定で敗れ王座陥落。 1980年9月17日、WBC世界王座に再挑戦。サパタとのリターンマッチに11回KO負け。 1981年5月26日、ノンタイトル10回戦で8回KO負け。現役引退。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中島成雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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