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中島来章 : ウィキペディア日本語版
中島来章[なかじま らいしょう]
中島 来章(なかじま らいしょう、寛政8年(1796年) - 明治4年(1871年))は、幕末から明治時代にかけて活躍した円山派絵師。姓は源、字は子慶、別号に䳉江、春分斎・神通堂等。横山清暉岸連山塩川文麟らと共に平安四名家と呼ばれるほど名声を得た。
== 略伝 ==
近江国甲賀郡柞原あるいは大津出身。初め画を渡辺南岳に学び、後に円山応瑞に従って一家を成した。安政度の御所造営に伴う障壁画制作にも参加している。花鳥画、特に鯉と鶉を得意とし、円山派の伝統を守った作品が多いが、より洒脱な感覚を持つ。『平安人物志』では文化10年(1813年)版から文政13年(1830年)版まで並河源章の子・並河宇次郎として登場するが、天保9年(1838年)から姓が中島に変わっており、この間に養子に入るなどの変化があったと考えられる。『平安画家評判記(御造営御絵、東山春秋展観之世評役者見立)』では、「此先生はいつもお出来の変わらぬ優しき御綺麗は御老年に似合わぬ感心感心」と評している。明治4年(1871年)76才で没する。墓所は下京区光縁寺
門人に息子の中島有章のほか、幸野楳嶺川端玉章藤井松林加納夏雄らがいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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