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中島棕隠[なかじま そういん] 中島 棕隠(なかじま そういん、安永9年(1779年)-安政2年6月28日(1855年8月10日))は、江戸時代後期の儒学者・漢詩人・狂詩作家。名を規(まどか/き)・徳規(よしのり)、字を景寛(けいかん)、号を棕隠軒・棕隠・棕軒、通称は文吉、別号を画餅居士・因果居士・水流雲在楼主人など。狂詩作家としては安穴道人(あんけつどうじん)の号を用いた。諡号は文憲先生。 == 経歴 == 京都の出身。伊藤仁斎の門弟であった曽祖父中島浮山以来代々儒学者として知られた。儒学と漢詩を村瀬栲亭、和歌を伴蒿蹊に学ぶ。10代で「鴨東竹枝」を作って評価を得るが、家風に反すると批判されて家を飛び出し、10年にわたって各地を転々とした。文化11年(1814年)に京都に戻り、文政9年(1826年)には祇園の風景を描いた『鴨東四時雑詞』を出して、竹枝詞の流行を招き、詩名は頼山陽と匹敵した他、京都の狂詩においては銅脈先生と並ぶ大家として名を遺した。また、狂詩としては「太平新曲」「天保佳話」、戯作としては「都繁盛記」「箱枕」を発表した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中島棕隠」の詳細全文を読む
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