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中島秋圃[なかしま しゅうほ]
中島 秋圃 (なかしま しゅうほ、明治11年(1878年)7月5日 - 昭和36年(1961年)11月30日)は、明治時代から昭和にかけて活躍した四条派の日本画家。 == 経歴 == 東京四谷で、旧佐賀藩士の司法省検事・中島盛有(藤次郎)の長男として生まれる。本名・次郎。明治35年(1902年)7月に東京美術学校(現・東京藝術大学美術学部)日本画科を卒業。秋圃は川端玉章に師事し円山派を学ぶ〔「美術の恩人中島秋圃 26年間で逸材育てる」富山新聞 2008年3月10日〕。納富介次郎の勧誘で、あるいは定塚武敏『富山の美と心』(桂書房、1990年)に録された次郎の長女・久栄の証言によれば、父と同じく佐賀出身の大隈重信より『三年のみ』と勧められ、同年7月に富山県高岡市の県立工芸高校(現・富山県立高岡工芸高等学校)に赴任する〔藤井素彦 「百武兼行筆『少女習作』と中島盛有」〕。明治35年(1902年)から昭和2年(1927年)まで、25年間に及び後進の指導にあたり、富山県の美術、工芸において大きな足跡を残す。秋圃は教え子を始めとした多くの人に慕われ、今でも高岡に多くの作品が残っている。妹フクの夫、細谷而楽は乾漆工芸家としても知られる彫刻家である。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中島秋圃」の詳細全文を読む
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