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中島美春 : ウィキペディア日本語版
中島美春[なかじま みはる]

中島 美春(なかじま みはる、1967年10月1日 - )は、1985年おニャン子クラブの会員番号5番としてデビューした日本の元アイドル東京都出身。本名、市川 美春(いちかわ みはる)。旧姓、中島。愛称は、なかじ1986年3月、おニャン子クラブを卒業し、同時に芸能界も引退した。
しかしながら、おニャン子クラブの復活イベントにはひんぱんに顔を出し、近年その縁でとんねるずのマネージャー、ボブ市川(市川謙司)と結婚した。
== 活動 ==

* 1985年2月、高校2年時にフジテレビの深夜番組『オールナイトフジ女子高生スペシャル』に出演し、国生さゆりらとともに同年4月からの同局で始める新番組『夕やけニャンニャン』のおニャン子クラブの一員としてスカウトされる。そして『夕やけニャンニャン』放送開始と共におニャン子クラブの一員として芸能生活をスタートさせた。私生活では、地元の普通科高校の3年生に進級して二足のわらじを履く日々を送ることとなった。
* おニャン子クラブは『夕やけニャンニャン』開始と共に知名度が上がり、一員として中島も有名人となるが、さらに彼女の身辺を慌ただしくさせたのは、おニャン子クラブのデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」のフロントボーカル4人の内の1人に抜擢されてからだ。この4人は番組外の活動でも別格の扱いを受け、他のメンバーより活動機会や露出が多くなっていた。おニャン子クラブの人気が高まるに連れ、フロントボーカル4人は、同時期にデビューした新人アイドルより高い知名度を得る。
* 顔が志村けんに似ている事を自ら進んでネタにしたり、大胆な発言や明るい性格から、おニャン子の中でも非常に高い人気を得た。
* しかしながら、当時高校3年生であった彼女は、高校卒業後歯科衛生士を目指し、その専門学校に通うため、おニャン子クラブから脱退し、芸能界から引退するという決断をする。番組スタッフらは彼女の決断を快く受け入れ、彼女のための卒業記念シングルを制作する。それが現在では卒業式のシーズンの定番曲となった「じゃあね」である。この曲は当初、中島美春個人名義(=中島美春 with おニャン子クラブ)で進められたが、本人の意向によりおニャン子クラブの名義に変更(しかしフロントボーカルは中島単独)。「セーラー服を脱がさないで」、「およしになってねTEACHER」に続く第3弾シングルとして1986年2月21日に発売された。なお、自身の在籍中に「おニャン子クラブ」名義でリリースされた全てのシングルA面曲でリードボーカルをとっているのは、彼女だけである。
* 1986年3月31日、河合その子(彼女は卒業後はソロ活動に移行)とともに『夕やけニャンニャン』の番組内で二人の「卒業式」が行われて番組を離れ、翌4月1日、日本武道館でのおニャン子クラブの全国コンサートツアー「あぶな~い課外授業」最終公演をもって芸能界から引退した。なお、これを期に番組内では卒業式が恒例化することとなった。
* 引退後も公私にわたって『夕やけニャンニャン』やおニャン子クラブのメンバーとは交流があり、その後の番組内卒業式や卒業コンサートなどでも顔をのぞかせて、ファンを歓喜させた。おニャン子クラブ解散以後の復活イベントにも何度となく参加。ただ、夫が芸能人に近いポジションからか、現在は控え気味になっていることを残念がるファンが多い。
* レギュラーで在籍・出演していたのは1年間であったが、卒業後にコンサート等には出演しており、河合その子同様、「本当に卒業出来たのは、『夕ニャン』放映終了・解散コンサート時ではないか」とする見方もある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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