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中島裕之 : ウィキペディア日本語版
中島裕之[なかじま ひろゆき]

中島 裕之(なかじま ひろゆき、1982年7月31日 - )は、オリックス・バファローズに所属する兵庫県伊丹市出身のプロ野球選手内野手)。妻は、ファッションモデル相沢紗世
からまでNPB西武ライオンズ → 埼玉西武ライオンズへ在籍した後に、・にオークランド・アスレチックスとメジャー契約。この経緯から「メジャー組」「メジャー帰り」と報じられることもあるが、実際にはメジャーリーグ公式戦への出場経験がなく、にオリックスでNPBへの復帰を果たした。
なお、NPBでは、西武への入団から2015年まで本名を登録名に用いていた。2016年からは、登録名を中島 宏之(読みは本名と同じ)へ変更。
== 経歴 ==

=== プロ入り前 ===
出生時は右肩が母体内で引っかかるなどの難産で、担当医からは「右肩に何らかの障害が残る可能性がある」と指摘され、乳児の頃から柔らかいゴム製のボールを半ば強制的に握らされていたという〔2009年3月10日2時っチャオ「ニュースチャオ蔵」より〕。伊丹市立桜台小学校時代は投手として幼馴染みの山崎勝己バッテリーを組み、全国大会に出場。伊丹市立天王寺川中学校では宝塚シニアに所属し、高校進学時には県外の強豪校からもスカウトされ、地元の名門である報徳学園高校を山崎と共に受験。しかし山崎は合格したものの中島は不合格となり、野球では無名の伊丹北高校に進学〔兵庫人 挑む 〕〔『シリーズにっぽんの高校野球 vol.10 兵庫編』(ベースボール・マガジン社)〕。シニアでの厳しい練習から野球に嫌気が差していたこともあり、強豪校とは違う練習環境の中で力を伸ばしていった。後に本人は「報徳に入学していたら野球を続けていなかったと思う」と述べている〔。
高校では1年時からレギュラーとなり、1年夏は右翼手として兵庫県大会に出場、2年夏には1番打者として16強入りに貢献。以降は先発投手を務めるようになり、3年夏は「1番・投手」として出場し兵庫大会4回戦敗退。高校通算43本塁打
ドラフト会議において西武ライオンズが5位指名で交渉権を獲得し契約金4000万円、年俸600万円(金額は推定)で入団した〔『朝日新聞』2000年11月25日付朝刊 (14版、18面)〕。無名校出身ながら高卒で指名された理由について、当時同校の監督だった後藤博雄は「真面目な性格が下積みにも耐えられるとスカウトが評価したのではないか」と語っている〔第89回全国高等学校野球選手権 兵庫大会 - 感動アーカイブ 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中島裕之」の詳細全文を読む



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