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中島飛行機半田製作所 : ウィキペディア日本語版
中島飛行機半田製作所[なかじまひこうきはんだせいさくしょ]

中島飛行機半田製作所(なかじまひこうきはんだせいさくしょ)は、かつて愛知県半田市にあった航空機メーカーである。
職住一体となった全体計画では、現在の半田市官庁街と旧亀崎町の大部分を占めるものであり、ひとつの地方自治体並みの規模を有するものであった。
後身は輸送機工業。1945年以降についてはこの「輸送機工業」を参照のこと。

== 半田市の工場誘致と中島飛行機の半田進出 ==
1937年の綿花羊毛・木材を対象とした「輸出入許可規則」(商工省令)・「スフ混用令」を発端として、半田市周辺の主要な地場産業であった織物業・晒木綿業が不況に襲われた。それ以外の地場産業も、市制執行時(1937年)から1939年にかけての時期に好調であったのは肥・飼料業との生産くらいであった。同じ醸造業でも清酒醸造は統制により不況となっていた。
深刻な不況に直面し、半田市当局と半田の政財界は工業誘致に活路を求めた。注目されたのは軍需産業であった。1940年、半田商工会議所は名古屋東京の資本金500万円以上の株式会社80社へ工場誘致の勧誘状を発送し、半田市も工場誘致に力を入れ始めた。また同年、「衣カ浦総合港湾計画」が内務省土木会議の「臨海工業地帯造成計画」に取り入れられると、半田市は関係7町村(東浦村武豊町刈谷町高浜町新川町大浜町旭村)の担当者を半田市役所に招き、「衣浦港湾期成同盟会」を結成し、臨海工業地帯造成の具体化を図ることになった〔半田空襲と戦争を記録する会『半田市誌別巻 半田の戦争記録』半田市 (1995年)〕。
一方、中島飛行機は、太平洋戦争直前の1941年には、太田小泉武蔵野・多摩の各製作所と太田飛行場を持つ我が国屈指の航空機メーカーとなっていた。戦時体制の中、特に海軍からは航空機の大増産が要請されることになった。この海軍の計画は中島飛行機が当初予想していた規模をはるかに超えていた。そこで新しい工場の建設を迫られた中島飛行機はこの機会に箱根以西に新しい拠点を設ける方針を固めた〔輸送機工業株式会社50年史編纂委員会/編纂『ユソーキ新しき創造 輸送機工業株式会社五十年史』輸送機工業 (2000年)〕。
当時「関東地区の飛行機会社は名古屋以西に進出しない。名古屋地区の会社は名古屋周辺以西に伸びること。」という軍の指導方針があり、東海地方・近畿地方にも多く協力工場をもっていた中島飛行機はどうしても箱根以西に新工場を持ちたいという強い希望を持っていた〔半田空襲と戦争を記録する会/編『半田空襲の記録』半田市 (1985年)〕。三島市(入手できた土地が狭く発動機系の工場として使用、後の三島製作所)・静岡市(既に三菱の工場があったので遠慮)・浜松市(飛行場を設けるには面積不足、発動機生産に使用)も候補地となっていた〔蘆澤俊一「中島・半田の建設から終焉まで」『別冊はんだ郷土史だより 第1部半田市の歴史を変えた中島飛行機半田製作所』はんだ郷土史研究会 (2007年)〕が、これらの候補地はいずれも不調に終わった。
中島飛行機が工場用地の確保に苦労していた頃、知多半島東岸地方では海軍航空隊をどこに置くかと問題が持ち上がっていた。この候補地の一つとして半田市乙川地区の海面埋立地が保留地となっていたが、水面の面積不足の理由で結局河和町に決定した〔。海軍の河和町への配置(後の河和海軍航空隊)によって、半田市乙川地区が工場用地としてクローズアップされてくることになった。中島飛行機には海軍から半田が保留解除になったことが知らされた〔「第四篇 近代 第四章 半田市の成立と戦時体制」『新修半田市誌 本文編中巻』半田市 (1989年)〕。
中島飛行機が用地を探していることを知って、半田市は、市長・市議会議長のほか地元の有力者を加えた大調査団を群馬県の太田町や小泉製作所に派遣し、慎重な調査をした上で、中島飛行機の新工場建設に全面的に協力することを決定した〔。
当時の乙川地区は、(1) 海面を埋め立てれば希望するだけの広さの工業用地を確保できるということのほかに、(2) 冬は北西、夏は南東の季節風が吹き風向きが安定していて飛行場の設置に都合がいい、(3) 部品を作る協力工場や下請け工場が得やすく労働者を確保しやすい、(4) 波静かな衣浦湾に面しており水上飛行機の発着にも適しているなど、工場用地として非常に優れており、好条件に恵まれていた〔。
こうして中島飛行機の半田進出が決定した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「中島飛行機半田製作所」の詳細全文を読む



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