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中崎俊秀[なかざき としひで]
中崎 俊秀(なかざき としひで、1874年(明治7年)12月9日 - 1945年(昭和20年)7月21日〔『官報』第5586号、昭和20年8月25日〕)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)、水戸市長、医師。 == 経歴 == 茨城県東茨城郡鯉淵村(現在の水戸市西部・笠間市東部)出身。済生学舎で医学を学んだ後、郷里で医院を開業し、1902年(明治35年)に鯉淵村長に選出された。日露戦争に従軍し、陸軍三等軍医に任ぜられた〔『衆議院要覧』〕。1906年(明治39年)より水戸市内で常盤病院を開院し、1922年(大正11年)には茨城県医師会長に選出された。 水戸市会議員、茨城県会議員を経て、1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は補欠当選も加えて5回を数えた。また1932年(昭和7年)より水戸市長に就任し、常磐村の合併や塵芥処理場の改設、日中戦争の対応などに取り組んだ〔『時の人』〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中崎俊秀」の詳細全文を読む
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