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中川久忠[なかがわ ひさただ]
中川 久忠(なかがわ ひさただ)は、豊後岡藩の第6代藩主。 元禄10年(1697年)2月24日、第5代藩主・中川久通の三男として生まれる。兄の早世で世子となり、宝永5年(1708年)からは執政代行(名代)として父と共に二元政治を行なった。宝永7年(1710年)の父の死去により家督を継いだ。 正徳元年(1711年)、従五位下、内膳正に叙任する。藩政においては正徳3年(1713年)の大火、享保9年(1724年)の大旱魃による3万5000石の被害、享保17年(1732年)の雨、虫害による飢饉などで財政難に見舞われた。享保11年(1726年)には藩校・由学館の前身である輔仁堂を創設する。 寛保2年(1742年)10月13日に死去した。享年46。跡を養子の久慶が継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中川久忠」の詳細全文を読む
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