|
中川 健藏(なかがわ けんぞう、1875年(明治8年)7月16日 - 1944年(昭和19年)6月26日)は、日本の官僚、政治家。台湾総督、貴族院議員。 == 略歴 == 新潟県佐渡郡畑野町三宮の山本傳十郎の次男として生まれたが、真野町新町中川清三郎の養子となり、家督を継ぐ。第一高等学校を卒業。 * 1902年(明治35年) - 東京帝国大学法科卒。 * 1902年(明治35年)11月 - 高等文官試験に合格する。 *: 北海道庁事務官に任官。法制局参事官、内閣恩給局審議官、拓殖局書記官、逓信書記官兼逓信省参事官、北海道逓信局長、逓信省通信局長を歴任。 * 1919年(大正8年) - 南満州鉄道株式会社理事となる。 * 1923年(大正12年)10月25日 - 1924年(大正13年)6月24日 - 香川県知事を任ぜられる。 * 1924年(大正13年)6月24日 - 1925年(大正14年)9月16日 - 熊本県知事を任ぜられる。 * 1925年(大正14年)9月16日 - 1927年(昭和2年)4月30日 - 北海道長官を任ぜられる。 * 1929年(昭和4年)7月5日 - 1929年(昭和4年)10月9日 - 東京府知事を任ぜられる。 * 1930年(昭和5年) - 濱口内閣の文部次官を務める。 * 1932年(昭和7年)5月27日 - 1936年(昭和11年)9月1日 - 台湾総督を務める。 * 1935年(昭和10年)10月-11月、台湾博覧会総裁〔甲府市庶務課 編「台湾博覧会と台湾地方状況視察記」昭和11、p9.近代デジタルライブラリー書誌ID000000621320。永続的識別子 info:ndljp/pid/1091637〕。 * 1936年(昭和11年)9月2日 - 貴族院令第1条第4号(勅選議員)により、貴族院議員に勅撰される。当時は、従三位勲二等。 * 1939年(昭和14年) - 大日本航空株式会社総裁となる。 * 1944年(昭和19年)6月26日 - 死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中川健藏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|