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中川 昭一(なかがわ しょういち、1953年(昭和28年)7月19日 ‐ 2009年(平成21年)10月3日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。位階勲章は正三位旭日大綬章。称号(学位)は法学士(東京大学)。 北海道5区、小選挙区比例代表並立制導入後は北海道11区から選出され、2009年(平成21年)に落選するまで連続8期、衆議院議員を務めた。その間、農林水産大臣、経済産業大臣、財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融担当)を歴任したほか、党三役では自民党政務調査会長を務めた。また、超党派の北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟会長、日本会議相談役を務めた。 戦後昭和期に衆議院議員・閣僚を務めた中川一郎は父、中川の跡を引き継いで2012年(平成24年)に衆議院議員になった中川郁子は妻。 == 生涯 == === 生い立ち === 1953年(昭和28年)7月19日、東京都渋谷区宮代町(現在の渋谷区広尾)に北海道開発庁に勤務していた中川一郎と、その妻・貞子の長男として生まれた。本籍地は、北海道広尾郡広尾町。父一郎は、新婚間もなく東京に赴任していた。 新宿区立落合第一小学校から麻布中学校・高等学校に進学した。中学受験時、母・貞子は昭一を塾や家庭教師に頼らせず、参考書を用いての自学のみで合格させたという〔元毎日新聞常務取締役でジャーナリストの河内孝による。〕。麻布時代には、それまで行っていたサッカーを大学受験のために止めたが、心臓肥大を患うこととなった。家では護憲派の学者・宮沢俊義の話をし、父・中川一郎に激怒されたことがあるという〔週刊文春2009年10月15日号(文藝春秋)〕。 現役生の頃に合格した慶應義塾大学経済学部へいったん入学したものの約1年間で退学、高校卒業から2年を経た1974年(昭和49年)、東京大学文科I類に再入学し、同大学法学部政治学科に学んだ。 大学卒業後の1978年(昭和53年)4月、日本興業銀行に入行、その後約5年間に渡って同行に勤めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中川昭一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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