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中川暢三 : ウィキペディア日本語版
中川暢三[なかがわ ちょうぞう]

中川 暢三(なかがわ ちょうぞう、1955年11月30日 - )は、日本政治家兵庫県加西市長(2期)、北条鉄道代表取締役社長大阪市北区長等を務めた。
== 経歴 ==
兵庫県加西市生まれ。兵庫県立北条高等学校信州大学経済学部卒業。大学卒業後、鹿島建設に入社。1980年、創設後間もない松下政経塾に入塾(第1期生)。その後2年で退塾したが、塾友会のメンバーである。同期生には野田佳彦(第95代内閣総理大臣民主党衆議院議員)、逢沢一郎自由民主党衆議院議員)、鈴木康友静岡県浜松市長)、小野晋也(元衆議院議員)らがいる。
鹿島建設本社開発部次長在職中、会社の了解を得た上で有給休暇を取得し、2001年第19回参議院議員通常選挙東京都選挙区(定数4)から無所属で出馬した。2002年田中康夫長野県知事の失職に伴い実施された長野県知事選挙、2003年の大阪市長選挙に相次いで出馬したが、いずれも落選した。
2005年、出身地である兵庫県加西市の市長選に無所属で出馬。現職の柏原正之市長を破り、初当選を果たした。加西市長就任後、「子供にツケを回さない」をモットーに財政再建を掲げ、徹底した行財政改革を推進。2007年6月の出直し市長選で再選された。2011年5月の市長選に3選を目指して出馬したが、市職労執行委員長や加西市国保健康課長を務めた元加西市職員の西村和平に約6,000票差で敗れ、落選。市長在職中は加西市や兵庫県が出資する第三セクター北条鉄道代表取締役社長も務める。市長退任後は政策シンクタンク「兵庫総合研究所」を設立し、理事長に就任した。
2011年10月、大阪市長選挙に立候補する意向を表明〔選挙:大阪市長選 出馬表明の中川氏「加西市での経験生かす」 /大阪 - 毎日jp(毎日新聞) 〕したものの、同月31日に立候補取りやめを発表した〔http://news.infoseek.co.jp/article/20111030_yol_oyt1t00580〕。
2012年、前年の市長選で現職の平松邦夫を破って大阪市長に当選した橋下徹が実施した、大阪市24区長の公募に応募し、合格。同年8月1日より北区長を務めた〔http://www.city.osaka.lg.jp/hodoshiryo/jinji/0000173504.html〕。2014年2月28日、橋下市長の辞職に伴う出直し市長選挙への立候補も視野に入れて北区長を辞職したが、出馬は見送った。
2015年4月の大阪市議会議員選挙に、かつて区長を務めた北区の選挙区から無所属で立候補したが、6人中最下位(得票数1405票)で落選した〔平成27年4月12日執行大阪市議会議員選挙の開票結果 大阪市選挙管理委員会〕。
2015年9月、橋下市長の任期満了に伴う同年11月の大阪市長選に無所属で立候補する意向を表明した。柳本顕を「自民党の古い風土で育ったボンボン。各党のシガラミの中で改革などできるはずがない」と批判。柳本顕の支援団体から「中川氏が出馬すれば柳本氏に不利になる」と候補の一本化を呼びかけられたが、「(出馬の)覚悟を決めている。やめることは考えられない」と語り、拒絶。柳本氏側と折り合うつもりは毛頭無いとの対決姿勢を示した。同年11月22日の選挙において柳本とともに落選した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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