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中川源造[なかがわ げんぞう]
中川 源造(なかがわ げんぞう、安政2年3月4日(1855年4月20日) - 明治40年(1907年)4月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(憲政本党)、新潟県高田町長。 == 経歴 == 越後国高田横春日町(現在の新潟県上越市)に中川源蔵の子として生まれる。東京に遊学の後、第8大区用掛を務めた。1880年(明治13年)、県会議員に当選し、また中頸城郡総町村組合会議員・議長となり、信越鉄道の建設に尽力した。1882年(明治15年)、室孝次郎とともに上越立憲改進党を結成し、翌年に高田新聞を創刊した。 1889年(明治22年)から翌年にかけて高田町長を務め、1893年(明治26年)に再選されて1896年(明治29年)まで在職した。1897年(明治30年)、中頸城郡会議員に当選し、郡参事会員を兼ね、高田師範学校の誘致に尽力した。1899年(明治32年)には県会議員に当選し、副議長に就任した。 1903年(明治36年)、第8回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。議員引退後も第13師団の誘致に尽力した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中川源造」の詳細全文を読む
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