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中村祐造 : ウィキペディア日本語版
中村祐造[なかむら ゆうぞう]

中村 祐造(なかむら ゆうぞう、1942年4月24日 - 2010年7月20日)は、日本の元男子バレーボール選手、元バレーボール男子日本代表監督。
== 人物 ==
1942年4月24日兵庫県姫路市出身。
兵庫県立姫路工業大学附属高等学校(現・兵庫県立姫路工業高等学校)から八幡製鐵に入社。同社所属のバレーボール選手としてプレーした。
オリンピックには第18回東京大会第20回ミュンヘン大会の2回出場。特にミュンヘン大会では日本代表主将としてチームを支え、準決勝の対ブルガリア戦に途中出場してセットカウント0-2と追い込まれた状況から逆転勝ちを呼び込む立役者のひとりとなるなど、日本の金メダル獲得に力を尽くした。
ミュンヘン大会の後は代表チームを引退したが、新日本製鐵堺選手兼任監督として日本リーグを制覇するなど、卓越した指導力で新日鉄の黄金時代を築いた。
1973年、朝日体育賞、文部大臣賞受賞。
1977年1979年の3年間、小山勉の後を受けてバレーボール男子日本代表監督に就任、1977年バレーボールワールドカップで準優勝を果たすなどしている。
バレーボールの現場を離れてからはネフローゼ症候群に罹り、1996年にはアメリカ合衆国腎臓移植手術を受けるなど健康に恵まれなかったが、病身の身をおしてバレーボールの普及指導活動などに取り組んでいた。
2010年7月20日脳内出血のために逝去〔ミュンヘン五輪バレー金、中村祐造氏死去 日刊スポーツ 2010年7月27日閲覧〕。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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