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中根正盛 : ウィキペディア日本語版
中根正盛[なかね まさもり]

中根正盛(なかね まさもり)は、江戸幕府旗本。役職は御側 / 大目付。官職は壱岐守
== 活躍 ==

徳川秀忠(2代将軍)の小姓に召し出され、大番を経て、徳川家光(3代将軍)時代に、小納戸を拝命し、やがて側衆(後の側用人)に進み、徳川家綱(4代将軍)時代に、大目付として諸国の監視を務める。
寛永10年(1633年)以来、家光の側近たちは老中六人衆(後の若年寄)となって幕府の日常的政務を処理するようになる。
寛永12年(1635年)、家光は、中根を御側に任じて幕閣との取次役とし、正規の監察機構とは別に監察権限を与えて幕藩制社会全般の動向を把握させ、中根を評定所へ出座させることにより幕府行政を監察させ、家光への情報チャンネルとした。
寛永15年(1638年)、堀田正盛が老中から家光の側衆に回り、中根正盛と2人で家光のブレーンとなる。土井利勝酒井忠勝門閥譜代大名大老に棚上げされ、彼らの子2人も若年寄から罷免される。ここに側衆(堀田・中根)と老中(松平信綱阿部忠秋)の家光体制が成立した。
この年、中根は従五位下壱岐守に叙任し、寛永17年(1640年)には5,000石を有することになる。
家光に深く寵愛され「比類なき出頭」、「国家の安否みな正盛について達す」と称され、「老臣といへども中根に向ては手を下して応対する程」の権勢を誇ったという。
諸大名・旗本と将軍との取次ぎ、その役目から各地の大名や幕臣の情報が集り、諸国の様子の監視に務め、与力20余騎を手足のように使った。また、たいへんな能書家でもあったという〔中根正盛書状 / 早稲田大学図書館 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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