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中濃(美濃)攻略戦(ちゅうのう(みの)こうりゃくせん)は、永禄8年(1565年)から永禄9年(1566年)に織田軍(尾張)、斎藤軍(美濃)との間に行われた合戦である。 == 中濃攻略戦に至るまで == === 稲葉山城占拠 === 永禄7年(1564年)、斎藤家家臣の竹中重治と安藤守就が造反し、稲葉山城乗っ取りを行い斎藤龍興は城を捨てる。重治らは半年ほど城を占領した後、これを龍興に明け渡す。この時、織田信長から重治に城を明け渡すよう誘いがあったというが、重治はこれを拒否した。しかし、この出来事によって斎藤氏の衰退が明らかとなり、家臣らの離反が目立つようになる。信長は、以前西濃攻略中心からではなく中濃攻略戦を開始することとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中濃攻略戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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