|
中田 正朔(なかた まさもと、1840年 - 1913年)は、神職。 伊勢国宇治(現在の三重県伊勢市)に生れる。漢学を鷹羽竜年に、書を養徳寺雪鷗に、国学を八羽光穂にそれぞれ学ぶ。和歌、書道に長じた。 1872年(明治5年)、宇治山田神社祠掌となり、宮崎郷学校幹事、度会県権少属、1876年、神宮主典を経て禰宜に進み、ついで造神宮頭となり、1887年(明治20年)4月より神宮皇學館(現在の皇學館大学の前身)館長を兼務(1890年8月まで)、1893年(明治26年)、兵庫の広田神社宮司となり、ついで大阪・堺の大鳥神社宮司に転任、1903年(明治36年)に退職した。 神宮奉職中、神宮司庁と神宮教院分離問題に尽力、功があった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「中田正朔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|